介護支援専門員・介護福祉士
二人の出会いはハワイ…ではなくスペインでした。
アロハデイサービスの代表取締役を務める私、山田栄希は1980年奈良生まれ。
高校から漠然と介護業界で働くことを考え始め、福祉の専門学校に進学。
介護福祉士をめざして学ぶうちに「介護を必要とする人はこれからどんどん増えてくるのに、このままじゃ人材も施設も全然足りないぞ!」と考えるようになりました。
俺は介護事業で起業する!
山田栄希(20歳)
...と決意した私は専門学校で履修できる学科を全て履修して卒業。そしていよいよ介護の世界で働き始める…その前に男友達と卒業旅行でスペインへ。
そこで出会ったのが、同じツアーに女友達と参加していた現在の妻・智子です。
8日間のツアーの中ででいろいろおしゃべりするうちに、私たちは自然と仲良くなりました。
ホンマはハワイとかに行きたかってん
山田栄希(20歳)
私も友達の希望でスペインになってん!
智子(21歳)
なんだかんだと意気投合した私たちは、帰国後交際をスタート。この頃から私は智子に、将来の夢を語っていました。
俺、介護で起業するから
山田栄希(20歳)
素敵やん!
私も看護学校で勉強中やし、きっと将来手伝えるよ
智子(21歳)
そして私たちは23歳のときに結婚。
お互い介護業界と医療業界とで忙しく働きながら、さまざまな経験を積んでいきました。
安定と冒険。迷いに揺れていた33歳。
結婚して10年。妻は大学附属病院のICUや県立病院の病棟看護師として順調にキャリアを積んでいました。
また私も、幅広く業界を経験しておきたいと、訪問介護からデイサービス、ケアプランセンターと職場を変えながらキャリアアップ。
この頃はケアマネージャーとして多くの利用者さまを担当しており、収入面でも家族を支えるのに十分な給与をいただいていました。
しかしいつしか、「本当にこれで満足していていいんだろうか?」と心がモヤモヤするように。
独立して自分の理想の介護を追求すべきか、家庭の安定を大切にすべきか。資金調達だって本当にできるんだろうか…?と迷いに揺れていた私に、、、。
あなた、そろそろ独立しなさいよ!!
智子(34歳)
え? いいの?!
山田栄希(33歳)
なんと妻からの「独立OK」宣言です。どうも妻は、鬱々としていた私を見かねていたようで、背中を後押ししてくれたのです。
そこから私たち夫婦の奮闘が始まりました。2014年(平成26年)の年明け頃から資金調達や物件探しに奔走。
妻も看護師の仕事をしながらですから大変だったでしょうが、「自分たちの事業の施設を作るんだ!」と張り切ってくれていました。
そして、現在のアロハデイサービスの建物と出会ったのです。
アロハデイサービス開業!
オレンジ色の外壁が特徴的なアロハデイサービスの建物は、もともと開業医の診療所兼住居だったものを自分たちで塗り直したものです。
この緑豊かな庭に一目惚れした私たちは、ここでの開業を決意。
以前から私は「起業するならまずデイサービスから」と決めていたので、ここなら暖かな空間を提供できると思ったんですね。
7月に法人を設立。
社名は、介護利用者に快適な空間を提供したいという想いから「株式会社コンフォータブルスペース」としました。
しかし肝心のデイサービスの家号が決まりません。
利用者にとって快適なデイサービス空間という理念を形にするとしたら…? まるでリゾートにきているような、来るだけで楽しくウキウキ心が弾むような空間って…!?
そうだ、ハワイを
コンセプトにしよう!
いいね! 施設名はどうする?
智子(34歳)
ハワイアンデイサービス
山田栄希(33歳)
なんか違う… アロハデイサービスは?
智子(34歳)
それだ!!!!
山田栄希(33歳)
「アロハ」というハワイ語に込められた意味も、私たちが追求したい介護サービスにピッタリです。
こうして2014年(平成26年)にアロハデイサービス・ナイトケアサービス・ケアプランニングを開業。軌道に乗るまでは妻には看護婦を続けてもらいましたが、後に彼女も当社のスタッフに。
そして多くのスタッフが私たちの元に集うようになりました。
2018年(平成30年)には2施設目のとなる「アロハデイサービスヤシの樹テラス」をオープン。
これも2人で決めた名称です。
妻には日々色んなヒントをもらっており、私が理想の介護を追求する支えとなっております。
まだまだ企業としては若い私たちではありますが、これからも利用者さんやそのご家族、地域の皆さまのお役に立てるよう頑張っていきたいと思っています。
施設見学や無料体験で私たちを見かけたら、気軽にお声がけください。
そして皆さまの介護への希望など、貴重なお声を聞かせていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。